エスケー2(桃井調)では、ない。
先日の続き。
過去に一度、同じような体験をした事がある。
東京にミサイルが墜ちる…ってウワサが流行した。のを憶えているだろうか。
今から10年ほど前の話だ。
たかがウワサだが、僕は必死になったし、その時も行動にでたんだ。
そう、エスケープした。
周囲の友達や知人に声をかけて、ある種、説得を試みた。
危ないから、逃げようと。
得体の知れない話で、人を説得するにはセンスが必要だった。
本気さも。
それでも、耳を傾けたのは3割超えたらいい方だった。
そもそもウワサだったし。
(その時の体験を書籍にまとめたものが『グリングリーンの日』だ。興味が湧いた方がいらしたら、ぜひ読んで頂けたら幸いです。http://amzn.to/fwQYpq)
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グリングリーンの日 |
しかし、今回は、実際に起きた原発事故。
ウワサの比じゃない。
しかも、当時と違ったのは、情報を受け取る手段が、あまりにも多様化していた点だ。
皆それぞれが好んだ媒体から、情報収集できる。ネット、SNS、ニコ動、Ust等々。
テレビと携帯だけじゃないから、拡散も半端じゃない。
信憑性はともかく賛否両論あるけど、個々が判断する材料が増えたことは、よい時代なんじゃないだろうか。
だからこそ、説得も難しいはず。
話を戻すと、原発事故後の一週間後辺りがやばかった。
3号炉の爆発の可能性があったからだ。
当然、爆発したらヤバイが、何よりもそれによる混乱で、脱出できなくなったら…
考えるだけで、動悸が速くなる。
結局のところ、小さな子どもを持つ友達が、
西へ避難した。親戚の家や、実家が西にある人。
ある友達は福島の親族の子どもたちを、迎えにいって自分達が住まう東京へ避難させた。
『西へ』がみんなのテーマだった。
僕らが、那覇空港へ着いたとき、ひとりの女性と知り合った。
その人は妊娠中で、知人はひとりもいないが、怖いので沖縄へとりあえず来たと言っていた。
一方で、守るべきものが子どもだけじゃない場合もある。
親や祖父母、家や会社。
これ以上の災いが起こらないことを願いたいが、
今年は【選択】と【決断】に迫られる年になりそうだ。
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(沖縄滞在中に撮影) |
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